サウナはフィンランドの言葉だが、蒸気で身体を温めるという営みそのものは、日本の風土にも古くから根づいていた。銀座の一軒の浴場から、オリンピックの選手村、昭和の雑居ビル、郊外のスーパー銭湯へ。日本のサウナが歩んだ道筋を、蒸気の記憶とともにたどってみたい。
日本の入浴文化の原点は、湯船に浸かることよりも先に、蒸気を浴びることにあった。とりわけ西日本では、江戸時代以前からさまざまな蒸気浴が営まれてきた。
瀬戸内海の西部沿岸、山口県や大分県には「石風呂」の遺構が多く残る。自然の洞窟や岩壁を掘った密室で枯れ葉などを燃やし、その熱と蒸気で汗を流す。京都の八瀬には饅頭型の「釜風呂」が伝わり、壬申の乱で傷を負った大海人皇子、のちの天武天皇がここで療養したという伝説が語り継がれている。あくまで伝説ではあるが、蒸気と癒しが結びついた記憶の古さを物語る。
仏教の伝来は、蒸気浴を「身を清める行」として制度化した。寺院には浴堂が設けられ、鎌倉から室町にかけては、病人や貧しい人々に浴堂を開放する「施浴」が盛んに行われたことが絵巻物からも確認できる。1202年開山の建仁寺には浴室が設けられ、僧たちは線香一本が燃え尽きるまで、およそ30分、蒸気の中で坐禅を組んだと伝わる。熱の中で静かに自分と向き合う時間。現代のサウナ愛好家が知っているあの感覚は、禅寺の浴室にすでにあったのかもしれない。
江戸の銭湯もまた、蒸し風呂の一種だった。膝の高さほどの湯に下半身を浸し、引き違い戸で閉じ込めた蒸気で上半身を蒸らす「戸棚風呂」。日本人と蒸気の付き合いは、フィンランドの言葉が届くはるか前から続いていたことになる。
「サウナ」という言葉が日本に上陸する舞台となったのは、銀座だった。1951年、銀座6丁目に開業した温浴レジャー施設「東京温泉」。蒸し風呂に個室、マッサージ室、キャバレーまで備え、個室入浴料は600円。当時の銭湯が12円だったことを思えば、途方もない高級浴場である。
創業者の許斐氏利(このみ・うじとし)は福岡出身の実業家であり、クレー射撃の選手でもあった。1956年のメルボルンオリンピックに日本代表として出場した彼は、選手村でフィンランドをはじめとする外国選手が使うサウナに出会う。帰国後、東京温泉にサウナ風呂を造った。設置の時期は資料により1956年とも1957年ともいわれるが、メルボルンからの帰国後、1956年末から57年ごろのことだったとみられる。日本サウナ・スパ協会の系譜でも、この東京温泉が日本のサウナ業の発祥として語られている。
ただし「日本初のサウナ」をどこに置くかは、実は定義によって答えが変わる。東京温泉のサウナは熱源に蒸気配管を用いた日本式の改良版であり、フィンランド式のストーブサウナとは異なるという指摘があるからだ。本格的なフィンランド式サウナの日本初は、もう少し先の話になる。
1964年の東京オリンピック。代々木の選手村に、本格的なサウナ施設が設けられた。フィンランドをはじめとする選手たちの要望を受けてのことだったとされ、これをもって日本初の本格フィンランド式サウナとする見方もある。
この選手村のサウナがメディアで報じられたことで、「サウナ」という言葉は一気に全国区になった。オリンピック後、スポーツ施設や銭湯へのサウナ設置が進み、最初のサウナブームが訪れる。フィンランドの蒸気が、スポーツの祭典を経由して日本の日常に流れ込んだ。
高度経済成長期、サウナは働く男たちの街に根を下ろした。長時間労働の合間に短時間で身体を回復させる場所として、100度前後の高温ドライサウナ、いわゆる「昭和ストロング」が主流になる。1971年には都内だけで440件のサウナがあったとされる。
銭湯以外のサウナ専門施設はその大半が男性専用で、のちにカプセルホテルと結びついていく。1979年、大阪・梅田に生まれたカプセルホテル第1号「カプセル・イン大阪」は、サウナ経営会社のニュージャパン観光が建築家・黒川紀章に設計を依頼したものだった。サウナで汗を流し、カプセルで眠る。「サウナはおじさんの場所」というイメージは、この時代に形づくられていった。
1973年のオイルショックは燃料費の高騰でサウナ業界に打撃を与え、全国およそ4,000件あった施設が半減したともいわれる。それでも蒸気は絶えなかった。1980年代には大浴場とサウナに演劇やカラオケ、食事処を組み合わせた「健康ランド」が登場し、女性や家族連れがサウナに触れる入り口となった。
1989年、名古屋市守山区に「竜泉寺の湯」が開業する。健康ランド以上の設備を町の銭湯並みの価格で、という発想から生まれたこの施設は、スーパー銭湯の第1号とされる。発想の主は、1960年からサウナ業を営んできた創業者の松永尚市だった。1990年代後半から2000年代前半にかけて全国で開業が相次ぎ、2009年までにおよそ770施設が生まれたという集計もある。
サウナ料金が入浴料に含まれる気軽さは、サウナを「男性専用の特別な場所」から「家族で行く日常の場所」へと変えた。裾野が広がったからこそ、次のブームは深く、広く届くことになる。
現在まで続く3度目のブームの思想的な起点は、一冊の本だった。マンガ家タナカカツキによるエッセイ『サ道』が2011年に書籍化され、2016年にマンガ化。2019年には原田泰造主演でテレビドラマになり、サウナは一般層へ一気に広がった。
このブームを象徴する言葉が「ととのう」である。サウナ、水風呂、外気浴のサイクルの後に訪れる深いリラックス状態を指すこの言葉は、プロサウナー「濡れ頭巾ちゃん」が言い始め、タナカカツキが『サ道』を通じて広めたとされる。2017年に有志4人で開設された検索サイト「サウナイキタイ」の登録施設は、2025年には15,000件を超えた。
このブームには、フィンランドへの回帰という側面がある。昭和のサウナが高温で乾いた我慢の日本式に変質していたのに対し、現代のブームでは、焼けたサウナストーンに水をかけて蒸気を起こす「ロウリュ」、つまりフィンランド本来の湿度を伴う入り方が求められている。日本でのロウリュサービスは1980年代の札幌の施設が発祥とされ、1990年代後半には、カプセル・イン大阪を生んだ会社の系譜に連なる大阪・難波の老舗サウナ「ニュージャパン」が都市部での普及の口火を切った。ドイツ式のアウフグースに由来するサービスでありながら、フィンランドへの敬意からあえて「ロウリュ」と名づけたという逸話も残る。いまやセルフロウリュの可否が施設選びの基準になり、フィンランド式を掲げるサウナは全国に広がり続けている。
石風呂の煙、禅寺の蒸気、銀座の湯気、選手村の熱。日本のサウナの歴史をたどると、フィンランドから届いたものと、この列島に元々あったものとが、幾度も出会い直してきたことがわかる。蒸気の中で黙り、汗をかき、水で身体を締め、また静けさに戻る。その営みをフィンランドはサウナと呼び、日本は風呂と呼んできた。呼び名の違いの向こうで、ふたつの蒸気文化はずっと呼応し合っている。ヘルシンキの湖畔でも、東京の雑居ビルでも、人は同じように熱の中で目を閉じている。